フジロックフェスティバル

日本の音楽フェスティバルの中でも、このフジロックフェスティバル、通称「フジロック」は特別な存在として知られています。それはフジロックが、2000年頃に始まり日本を席巻した音楽フェスブームの先駆けとなったいうことだけではなく、出演してきたアーティストの圧倒的な質と量、そして彼らがおこなってきた伝説的なパフォーマンスの数々によって築かれたものです。

そんなフジロックが始まったのは、空前のバブル景気が収束し、世紀末に向けて不穏な空気が押し寄せてきた1997年という時代でした。フジロックの登場は、新世紀へ向け自身を奮い立たせるために送った、我々日本人からのエールだったのかもしれません。

フジロック黎明期

フジロックフェスティバルという名称は、1997年におこなわれた第1回の会場が現在の新潟県苗場スキー場ではなく、富士山近辺にある山梨県富士天神山スキー場であったことに由来します。そこで開かれた栄えある第1回フジロックは、その後日本の夏の風物詩として定着する大イベントの第1回として歴史的なものになるはずでした。しかし実際は、空前の大失敗として終わることになったのです。2日間のイベントとして開催されたその初日に台風が直撃。フェスティバルに慣れていない運営側と参加者では、そのような状況にきちんと対応することはできませんでした。会場には雨や寒さをしのぐ場所が無く、参加者も十分な備えを持ってイベントに臨む意識がなかったため、体調不良で病院へと搬送される参加者が続出。終了後のシャトルバスの到着も大幅に遅れ、さながら暴動のようになったと言われています。結局2日目は中止となり、フジロックの最初の1歩は大きな躓きとして始まってしまったのです。

日本を代表する音楽フェスへ

しかしその失敗を糧に、フジロックは日本を代表する音楽フェスへと邁進します。1998年の第2回は、利便性が悪く緊急時の対応が難しい富士天神山スキー場から、いったんは都市部の東京ベイサイドスクエアに会場を移動し開催。そして翌第3回は当初の理念へ回帰し、海外の野外フェスなどを参考にして再び野外の新潟県苗場スキー場に会場を移します。紆余曲折を経てこの苗場スキー場で開催地を固定することになり、そしてフジロックは日本を代表するフェスとなったのです。この第3回から開催期間も3日間へと拡大し、この年のべ7万2千人だった観客動員数は、2003年には10万人を突破。ピークとなった2012年には、前夜祭を含めた参加人数が14万人を超えました。フジロックは、今後も日本の音楽フェスの代表として君臨し続けることになるでしょう。